kiwamono's diary

テクノロジーによるシコティッシュの一覧

男性の性的なまなざしが性的魅力のある女性に特権を与えていて、ズルい!という感情と献血

私は女性が嫌いだ。(いきなりのお気持ち表明)

正確には自分の性的な魅力を利用し、他人より生きやすく過ごしている女性が嫌いだ。

つまり自分が持っていない客体としての性的魅力を持ちそれを行使する女性に対して劣等感があるので、女性の売春を自分の中で認めない事で男女を平等にしたいというコンプレックスがあるのだ。年取ってチヤホヤされなくなったおばさんがチヤホヤされる女子アナを叩く構図に似ている。ここまで読んだ時点で結構共感できる人は多いのではないだろうか。

我々はそれぞれいろんな性別があり文化や宗教があり多様性がある…がそれらは決して社会の中で平等ではない。何か大きな神聖な概念があってそれを信仰する宗教がある国では自己を神と相対化したりできるし神の元で平等だという前提があるので何も問題がないが、現在の日本のように信仰が失われた国では個人個人が自分の容姿やコミュニケーション能力や何らかの才能で社会に絶対的に評価される。つまり「美人は勝ち組」「女の子を産みたい」「生まれが全て」という近年の風潮が出てくるわけだ。胸が大きい女性は胸が小さい女性より女性としての恩恵を得られる。顔がいい女性は顔が悪い女性より待遇がはるかに良く、周囲からの評価も良くなる。カーストも必然的に上位となる。男性の性的なまなざしが容姿のいい女性に特権を与えているのだ。これは性的魅力のない女性からすれば脅威だ。美人に特権を与えるまなざしとその元の性欲は邪魔なのでそれをなんとしても否定しようとする。そして現在のTwitterでは毎日なにかが炎上する。

 

みんな限界なのだ。毎日容姿が優れていないというだけで周囲から低い評価を受ける。異性には嫌悪され排除される。同性だって嫌悪し合う。自分の力ではどうしようもない外見の問題で人生ハードモードを強いられる。他人に助けてもらえないので他人を助けることがない。容姿が優れた人間の方が絶対に幸福なのが確定しているので、なにも無くても心の中はいつも空虚に染まる。いつだって自分の力で自分を癒し自分の力で自分を生かしていくしかない。みんな許せないのだ。容姿がいい人間は容姿がいいというだけで周囲から好かれる。異性には好かれ、生殖が有利となる。同性にも好かれ孤独になることがない。何もしなくても得られた才能の力で人生をいくらでも楽しくすることができる。他人に優しくしてもらえるので自分も他人に優しくする余裕ができる。どんなときも誰かに頼れる環境にいられるので精神が追い詰められることがない。特に女性で容姿がいい人間は男性に養ってもらうことができる(高度経済成長期で男性がモーレツに働いていた頃は普通だったが現在は容姿が優れた女性の特権と化している)。自分はこんなに苦しいのに?男性は風俗や水商売で生きていくのが難しいのに女性はそれらをセーフティネットとして生きていくことができる。女性だって性的魅力を利用せずに男性社会の中でキツイ仕事をするようにならなきゃ不平等ではないか。 …ん?なんだこの献血ポスターは!胸が強調されていてえっちだ!えっちなのは許せない、何故ならえっちな女性は私達より恩恵を受けているからだ!そしてそんなえっちなものを許す男性はキモい!性的なまなざしをやめろ!権利侵害だ!女性を客体とする性的なイメージは公共の場に出すことを許さない!ムキーーーーー!

という雰囲気を感じている。

それを踏まえて描いた炎上しないver

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これでいいのか?

 

鏡よりスマホカメラに写る自分の方がリアル

いきなりですが私たちは自分の目で自分の顔を見ることは一生できません(必ず鏡やスマホのインカメラを利用することでしか自分の顔を見ることはできない)

そうすると自分が自分だな〜と認識する自分の顔は実は他人が自分を見てる時に見える顔と異なるのかもしれないし、自分が他者を認識する知覚にもある程度歪みがかかっているかもしれないという自分の目に対する不信が出てくる。実際に自分は夜に窓に移る自分が一瞬自分に見えなかったことがあるし、幻覚剤を使うと鏡に移る自分が自分でないと認識する。つまり鏡に映る自分はいつもありのままの自分のままじゃなく、自分の無意識下のイメージが反映された独自のものが映ると考えられる。そうすると古代から呪いやら儀式に使われたのも納得できる気がする。そしてラカンには鏡像認知の理論があるが、他者から見られる自分を客観視するからこそ自分自身という存在をメタに認識する自我が生まれ、自分の身体イメージを統合することができるということはVRで赤ちゃんに生まれつき理想の身体(例えば美少女キャラクター)を認識し続けるようにしたら本当に美少女キャラクターを生成する事ができるのでは。そして、そのときリアリティはVRの方に感じるのでは?と思った(実際にVRchatというサービスで美少女アバターを使ったおじさん同士が恋し合うという現象が起きている)ところで最近の女子高生は自撮り加工アプリを鏡替わりにして自分の顔をチェックしているが、それもアプリが投影する理想的な顔と鏡で見る自分の顔で前者の方がリアリティに近いという感覚の現れなのではない思った

最近思ったこと、本について

本っていいな~と思う。
少し前から月に10冊程度、興味のある分野とか立ち読みして面白そうだった本を集めて読むことにしている。
自分は現代大学生なのだが通学中はけっこう時間があり、そこで読む。少し早起きしてゆとりのある時間を読書に費やすのはなんだか文化的で贅沢だし意味のある時間を過ごせる気がして嬉しい。
こういう「今日は何をしたからオレ偉い!」みたいなのは大事で、それがないと寝る前に今日も無為に過ごしたな~っていう絶望と焦燥がやってくるのでよくない。本を読むほど(どうでもいいようなのも含めて)知識が増えて繋がって世界が広がったように思える。しかし別に本を読むのがエライという訳ではなく、実際に最近はyoutubeで本の解説動画なんかや上手く編集された勉強になる動画が山ほどあるしなんなら講義のアーカイブトークイベントの映像が丸々上がったりしている。効率で言えば確実にネットの方がいい。しかしそれでも本のいいところはやはり本を読んだ経験を共有できることだと思う。今はみんながみんな違うものを見ている時代だ。電車内でスマホをいじっている人たちそれぞれがずっと別のものを見ている。昔はみんなテレビを見て共通の世界観を共有する大きな物語のようなものがあったが今はもうそれはない。それぞれが全く別の関心と経験をもっていて、なかなかそれが交わることがない。ネットでいくらかの人数の話題を共有できる部族を作り出し共感しあっている。それぞれの部族がそれぞれの正しさを有している。で、そこで役に立つのが本だ。本はネットのコンテンツに比べると情報の量が限定されている。つまりはいくらかの本を読んでおけばどんな部族の人とも共有できる話題なのだ。もちろん自分はそれが目的で読んでるわけではなく単純に知的好奇心が満たされて面白いから(人文書とかジェットコースターみたいで楽しい)読んでるだけだけど、それでも結構ある程度本の知識は通用して楽しい。本を読んでインプットするだけじゃなく人と語ったり文章でまとめて消化する楽しみは最近まで知らなかった。


最近読んだ本(アフィリエイトとかやってないからここから買っても一銭も入ってこないので絶対ここから買わないこと)

欲望会議 「超」ポリコレ宣言

欲望会議 「超」ポリコレ宣言

今や大ポリコレ時代、傷つけられお気持ちを害されたより被害者でよりマイノリティで政治的に正しい存在の方が勝つ狂ったインターネットを戦闘民族の美術家・ゲイ哲学者・痴女AV監督がぶった切るという感じの内容。これを読んでから発達障害で勝手に傷つくのが止まったし今のポリコレ地獄をある程度俯瞰できるようになった。オススメ

超人計画 (角川文庫)

超人計画 (角川文庫)

NHKにようこそ!」の作者、滝本竜彦による自伝的な本。哲学を学ぶが最終的に哲学を捨てる、仮想の彼女に縋るが最終的に彼女を殺す、サイケデリクスにハマるが最終的にそれも捨てる、宗教を無意味と切り捨てる。それまでの全ての苦しみの過程を苦行のように肯定しつつ、それすら捨てていく様子は正に悟りに至る過程のようだと思った。全ては無意味であり無意味ではなかったのだ。これとセットで「NHKにようこそ!」の小説版も読むとどこがフィクションでどれだけ「佐藤」と滝本氏がリンクしているのかわかって面白い。

現代人のための「チベット死者の書」

現代人のための「チベット死者の書」

なんでこの本に興味を持ったかというとゴホンゴホン何かしらで別の宇宙まで月世界旅行ゴフンゴフンしたせい。別に全然深くハマったわけでもないけど宗教的用語の意味と本質が驚くほどストンと入ってきてしまうのでめちゃくちゃ読んでいて面白かった。月世界旅行していない方でも文章が非常にわかりやすいので読んで絶対に損はない。

なごやトリエンナーレについて

(とりあえず概要を掴むべく記事を作りました。訂正するべき情報や追加すべき情報があればTwitter@technotissue のDMまでよろしくお願いします。今後も何か動き次第追加していくのでよろしくお願いします。)

なごやトリエンナーレとは
なごやトリエンナーレ(英名 Nagoya Triennale)は2019年から3年ごとに開催されている国内最大規模の国際「超」芸術祭である。1回目となる2019年は、国内外から4組以上のアーティストを迎え、国際現代美術展のほか、映像プログラム、パフォーミングアーツ、音楽プログラムなど、様々な表現を横断する最先端の超芸術運動として開催されている。
www.nagoyatriennale.info


経緯
2019年8月1日開始となった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展、「表現の不自由展・その後」*1に抗議が殺到しわずか3日間で展示が中止となる事件があった。が、別にそれには関係なくなごやトリエンナーレは水面下で動き出していた。「なごやトリエンナーレ」は外山恒一*2らの九州ファシスト党の芸術部門の「メインストリーム」などによる反アートの思想運動として企画されたものであり、表現の不自由展で展示されていた慰安婦像や昭和天皇の肖像などの政治的な作品に対してだけの反対ではなくもっと崇高で志の高い、ARTそのものに対するゲリラ運動である。アートとは本来アートのためだけに存在する。官主導で資本主義に回収され体制側になってしまった「似非」アートはアートの自由さを阻害し内側から腐敗させてしまっている。価値や値段や既存の形式、社会的文脈に押さえつけられている。

”日常生活に奉仕する芸術という枠組みのなか原理を放棄し、雇用関係を維持することを目的とする世界には、芸術と表現は存在していない。拝金主義に値札を貼られた追従笑いする侏儒のオブジェ、それが現在の芸術である。存在しないものを擁護・迫害することはできない。よってあれら騒動はお互いの言語空間における争奪戦、権力闘争に他ならない。原理なき権力闘争は無内容なので、「あいち」では何も起こっておらず、新しく生まれるものは何もなかった。”(金津嘉徳氏 美しき砂漠の原理 なごやトリエンナーレ*3より引用)

そのような体制に回収されたアートを解放するため政府や地方公共団体と結びついた美術展やアートイベントに対抗したり妨害したりするのが反アート運動である。それは世界各地で行われてきたものだ。そして今回、反アートの照準はあいちトリエンナーレに向けられた。


(*1 情報の時代
「表現の不自由展」は、どんな内容だったのか? 昭和天皇モチーフ作品の前には人だかりも《現地詳細ルポ》 | ハフポスト

(*2 政治結社「九州ファシスト党・我々団」創設者。政治活動家、革命家であり、ネットではニコニコ動画政見放送が有名。
外山恒一 - Wikipedia
外山恒一政見放送(2007年東京都知事選) - ニコニコ動画

(*3 美しき砂漠の原理 なごやトリエンナーレ|金津嘉徳|note




概要

開催目的
・新たな乾燥地帯の創造・拡張により、名古屋の砂漠化に貢献します。
・人民の内在・願望により、なごやトリエンナーレ名古屋市への具現化を図ります。
​・腸内活性化により、市内公衆便所の利用率を飛躍的に向上します。

テーマ
無上の時代

超芸術監督
​自由流襟座或(じゆうる・えりざある)

会期
2019年8月1日[木]-10月14日[月・祝]


行動・事件
7月31日、愛知芸術文化センターの前でなごやトリエンナーレによるゲリライベント「騒音の夕べ」が行われた。(ワゴン車で施設前の路上に乗りつけ大音量でノイズをまき散らすというパフォーマンス)
https://www.nagoyatriennale.info/pre-event

爆音ノイズだけではなくグラフィックスアートのパフォーマンスも行われたが、それに使っていた絵の具が美術館の敷地を汚したということで職員からふき取るように注意された。それに対するレスポンスとしてなごやトリエンナーレ実行委員会は8.2「表現の不自由展」粉砕行動声明文を発表する。

 ”去る7月31日、我々なごやトリエンナーレ実行委員会は、偉大なる我々の超芸術祭の口火を切るべく、プレイベント「騒音の夕べ」を遂行した。人々を偶像愛好のまどろみから覚醒させ、あらゆるアートをゴミとし、文字通り名古屋の砂漠化を目指す我々の超芸術祭の幕開けにふさわしいものであった。前衛を前衛する我々に対して、洞窟に住む未開人が石を投げつけることしかできないのは当然である。事実、愛知芸術文化センター(以下芸文センター)の職員は、敷地内での騒音散布を理由に「騒音の夕べ」を阻止しようとしてきた。注文はそれだけではとどまらず、あろうことか敷地上への絵具の僅かな飛沫の清掃までも要求してきたのである。敷地とはいえ、そこは多くの人々が行き交う屋外の歩道である。日頃から雑踏にさらされ、時には行儀のいただけない人民により飲食物が落とされることさえある。それらを許容しているにもかかわらず、coup d'États氏に絵具の飛沫を拭き取れと命じるのは、何ら正統性はなく、投石に等しい蛮行であると断言するに聊かの躊躇もない。”
www.nagoyatriennale.info

視点を切り替え床清掃をするように求められたことをあいちトリエンナーレの会場に入るためのチャンスだと思った「騒音の夕べ」のパフォーマーであるcoup d'État氏、室伏氏らは8月7日に清掃用具をもって、美術館内部に清掃作業を口実に乱入。床に持参したバケツで水をまくなどの妨害行動を開始した。まさしく連携である

なごやトリエンナーレスタッフらは「津田(芸術祭の芸術監督を務める津田大介氏)を出せ」などと叫び、その騒動の中で自称室伏良平氏はバケツに入った水をひっくり返し警察に水がかかりそれが悪質と判断されたのか自称室伏良平氏公務執行妨害で逮捕され拘留されてしまう。

”警察は当初から我々の分断を図ってきていた。それがいかなる意図のものなのかは、我々の関知するところではない。いずれにせよ、coup d'États氏と超現場監督がエレベーターに乗り込んだとき、大量の警官が割り込み、広報部員一人がロビーに取り残されることとなった。このとき、超現場監督は危機を察知した。現場に慣れない広報部員への「転び公妨」などの危険を感じ取ったのである。どこからともなく発せられた「それガソリンちゃうん?」という声に乗じ、彼は警官をひるませるために「ガソリンだ」と言いながらバケツの「液体」=DHMOを散布し、広報部員を救出すべく一歩踏み出した。だが、すぐさま警官に取り押さえられ、彼自身が逮捕されることになったのである。”
https://www.nagoyatriennale.info/8-7-seisou
(転び公妨→警察官などの捜査官が被疑者に公務執行妨害罪(公妨)や傷害罪などを巧みに適用して現行犯逮捕する行為)

警察がバケツの水かけただのかけられただので大真面目に対応してるの、シュール過ぎる
そういったくだらない罪なので通常48時間で怒られと共に釈放されるはずが名古屋東署の留置所に17日間も拘留されてしまった。視点を切り替えその留置所はなごやトリエンナーレ会場のひとつになった。その間作られた獄中通信『結束』はwebで全て公開されている。
https://www.nagoyatriennale.info/kessoku

その後略式起訴され罰金刑が発生した。(釈放後は某所にて釈放記念の会が開かれた。)その後メインストリーム×千坂恭二の反アートトークイベント「​アート・反アート・現在・たぬき」*4が9月7日に行われた。
【追記】10月13日にレプリティアン排外デモが行われた。レプリティアンに反対したりレタスに人権は無いなどのキャッチーかつ徹底して意味の無い様子には大いなる意味が存在していたように思える。また10月12日〜20日の期間で栄の書店Bibliomaniaにて「表現の萎縮展」が行われた。初日である12日は大型台風19号による強風で店を閉じざるを得ず展示を萎縮した。

(*4 https://www.nagoyatriennale.info/tanuki
なごやトリエンナーレ2019アート・反アート・現在・たぬき - Google ドキュメント



・「騒音の夕べ」はcoup d'États氏が主宰する「トラリー・プロジェクト」の一端である。coup d'États氏は、「民族の意志同盟」という政治団体の関西支部長でもあり「未来派」に関心を寄せている。未来派とはダダイズムに先んじて登場したイタリアの前衛芸術運動で、ファシズム運動との渾然一体ぶりで知られる。その未来派の一翼を担った「騒音音楽」を意識し、所有するトラックの荷台に大きなスピーカーを積んで、本拠地とする大阪の難波界隈の路上などに出撃し、大音量でひたすら“騒音”を撒き散らす「プロジェクト」をこの数年たびたび繰り返してきた。決してアートとして回収されるものではなく「前衛迷惑行為」として活動を続けている。(外山恒一氏の記事より一部引用)
メインストリームに詳細が載っている

・複製技術時代の超芸術監督
https://www.nagoyatriennale.info/hukuseikantoku


愛知県美術館を清掃したパフォーマンスについては日本前衛芸術の一つである赤瀬川原平らの「首都圏整理清掃促進運動」が元になっていると思われるが、それとは異なり服装指定はなく自由な服装で行われた。その後の自称室伏氏逮捕の流れはまるで赤瀬川原平の千円札裁判のようである。60~70年代のネオダダ周辺の前衛の炎が尽きず燃え続け、抑えきれなくなった熱がこの情の時代を破壊するべく吹き出しているかのように思える。保守的でアートにまるで理解のない名古屋でも、かつてはゼロ次元という前衛集団がおり、栄を集団で這いずり回ったり全裸でストリーキングしたりしていた。熱は未だ冷めていないのだ。今こそこれまでの価値基準を全て破壊し、根拠のないまぼろしの値段と生命維持され続けてきた似非芸術を根絶やしにし、名古屋を砂漠化するべきである。また公衆トイレの紙が無料になっても嬉しい。


参考
www.nagoyatriennale.info
note.mu
togetter.com
ironna.jp