kiwamono's diary

Twitter→てくのてぃっしゅ@TechnoTissue

ポケットモンスター夏の暑い日の夕立の気配を背中で感じた山の中おじいちゃんの家まで走って帰った日/夕立の後なんともなしに歩いた暗い森から香る雨に濡れた土の匂いとカエルの声

桜、撮ったまま忘れて放置してた

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【南米の鬱病患者の特徴】

・踊るとき腰がふれなくなる

・マラカスひとつしか持てない

・本を読み出す

 

 

盛り上がるなか唐突に谷山浩子の怖い曲を流してくるDJの異端児

 

寂しい時もどんなときも深淵だけは必ず俺を見てくれてた。深淵と結婚しようかな

 

朝目が覚めても続くものが嫌で、それでも質のいい犬を次の日もその次の日も揉み続けられるならそれもいいかなという気分になる いつか死ぬが…

 

通信制限になってしまった。もう何も満足に読み込めない。この世の全てがバーチャルになった後も底辺労働層は通信制限により自由を奪われるのを想像した。バーチャル沖縄でビールを飲むことができない。バーチャル猫に教育することができない。バーチャル風俗でAIに奉仕されて、娯楽はそれでおしまいだ

 

バファリンの成分、半分は優しさって言われてるけど実はおばあちゃんらしいです  残り半分はおじいちゃんです

 

今使ってるワイヤレスイヤホン、接続が切れたりすると女性の声で「接続が切れました♪」って言ってくれるんだけど意識抜いてる時にそれをされるとマジで背筋がゾクゾクゾクゥ!?ってなるからそこだけは勘弁して欲しい、催眠に入りそうになる

 

これから子供を作る事ができるという可能性を所持しているので「これから産まれてくるかもしれない赤ちゃん」からの無限の感謝が俺という個体に収束している

 

キリスト教徒の大乱交、赤ワインの浣腸で悶え苦しめ!賛美歌聴いて乳首を弄ると直腸から流れ落ちる純血の白、白、精液!ザーメン!断髪せよ断髪!後に残った張形が積み重なって後世に残る十字架になりました………………

 

 

 

あるある探検隊!とあたまがおかしくなる!て似てる。自分も何かになれるはずという可能性が出来るほど「出来なかった時」「何かに成れなかった時」の自分への失望と失った時間の喪失感に胸が締め付けられる。こんな思いをするなら可能性なんて無い方がよかったと思う。可能性もクソもない社畜になりたい。そしてそんな環境に文句を言って缶珈琲と煙草で苦痛を飲み込むような底辺でありたかった自分もいる。あたまがおかしくなる!あたまがおかしくなる!

 

平成が終わると聞いても何もワクワクしなかった。時間はただ過ぎていくもので、日時はそれをただ区切るものに過ぎない。今でも24時間が1日だというのに違和感がある。24時間のうち3回も食べ物を食べて栄養を接種する食事という行為にも違和感がある。曖昧で神秘しかなかった原始を少しずつ切り崩して文明が生まれたけど未だに身体とシステムが一致していない気がする。今がまだ原始の時代だったら自分は夜に罠の見守りをして気まぐれに絵を描いていただろう。そして食べたいときや食べ物を見つけた時に食事をしているはずだ。つまりは深夜徘徊である。ウホウホ。平成31年4月31日深夜、駅前のコンビニでシャンメリーを発見。安売りされていたので買ってみた。クリスマスしか飲まないので変な気分だったけど、そもそも祝うべき改元なんてみんな初めてで変な気分だったはず…令和1年5月1日、シャンメリーの瓶を捨てるのがめんどくさい事に気づく。イエーイ、さらば平成、後でやっぱり寂しくなっても戻ってきたりするなよ

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ネットで見かけた多様なオナニーと性癖

以前ネットで目にしたオナニーにアナルフリスクというものがあった。これはアナルにフリスクを挿入する事でスースーする感覚を味わうというオナニーである。今までの人生で直腸内に爽快感を感じたことのある人はいるだろうか?これこそまさに新感覚である。コンビニのお菓子なんかよく色んなフレーバーを混ぜて新感覚の味なんて言うがそんなものよりアナルフリスクの方が新感覚である。商品開発部は肛門にフリスクを挿入し、本物の新感覚を味わって欲しい。個人的にわたパチとかも挿入してASMRを作って欲しい。おもしろいので

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また、同種でアナルにブレスケアを挿入する者もいた。ブレスケアが弾ける便意は強烈らしく時限爆弾のようにリスクを楽しむことができるらしい。会議や仕事や講義中などにやれば生の実感が得られるだろう


また、同じく肛門の話だがアナルにフィギュアを挿入する画像を見たことがある。肛門美少女挿入界隈。美少女フィギュアが徐々に肛門に侵略されていき、そしておぞましく糞便まみれで産まれてくる、これは美少女フィギュアに侵されるマゾヒズム的性癖なのか美少女を糞便で汚すサディズム的性癖なのか?しかしどこか芸術性を感じた。


フィギュアといえばフィギュアぶっかけだ。美少女フィギュアに精液をぶっかけることに興奮する人達もいる。他にも精液を貯めて風呂のようにしてそこにフィギュアを漬けたり、クッションカバーや同人誌にぶっかけたまま放置するタイプもある。何度も何度もぶっかけると精液は生地を征服し独特の色合いを醸し出す。FC2なんかにたくさんフィギュアぶっかけ動画が上がってるしその他の動画サイトにもたくさんあると思う。リサイクルショップにいくと中古フィギュアがショーウィンドウにたくさん並んでたりするけど、多分そのうちのいくつかはぶっかけ済みだ。ブラックライトで照らせば判別することが出来る。


というかリサイクルショップに並ぶ女児服や制服なんてだいたい精液がかかっている気がする。自分はそういうのは慣れてるからいいけど気にする人はリサイクルショップを利用しない方がいいかもしれない。中古のおもちゃは肛門に、中古の服は精液が。そういう風に性癖を学ぶと何もかもから性の匂いがしてくる。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことだと中島らもは言っていたが、それなら「変態」は「一人で興奮できれ技術」のことだ。性について学ぶほどあらゆるものに興奮することが出来る。あらゆるもので快感を感じることが出来る。性について学び変態になろう

何故オタクは給食の時間に放送でボカロを流したがったのか

タイトルの通り何故オタクが給食の時間に放送でボカロ曲を流したがったのか私見(というか妄想)をまとめます
かくいう自分の通っていた小学・中学でもお昼の時間によくボカロが流れることがあった。そのたびにクラスカースト上位で運動部などで活躍する活発な生徒、つまり陽気キャラの女子などが「きゃー。なにこの曲ー。きもーい。オタクじゃん。きもーい。」などとキモイのなら反応しなければ良いのにここぞと騒ぎ始め、それを聞いたオタクグループが腹を立て対立が生まれるという誰も得しないクソみたいな流れが起きた。調べてみるとこれは日本全国どこの小学校中学校でも起きているようだ。こんな誰も得しないことが誰が支持しているわけでもないのは些か不可解である。そこで俺はここにはオタクたちのアイデンティティの問題があると考える。

それまでオタクたちはそれぞれ好きに2ちゃんねるを利用したりアニメやゲームを見たりして各自の好きなジャンルを楽しんでいた。オタク達は全員同じ趣向を持つことはなく、それぞれがそれぞれ興味のある分野を楽しんでいたためオタクには個性があった。そして自分がオタクという世間的に評価されないジャンルにしか分類されないと自覚し、半ば自虐的なアイデンティティとしてオタクの名を名乗っていた。つまり社会一般から逸れ自分の関心のまま行動するもの達の総称がオタクだった訳だ。そこにニコニコ動画が登場する。ニコニコ動画は単なる動画投稿サイトとして終わらず、動画の視聴者が自由に投稿できるコメント機能によってコミュニティとしてオタク達の結束に役立った。そしてオタク達はニコニコ動画をオタクの聖地として利用する。動画というメディアを介しオタク的な趣味を共有することができた。多種多様なオタクが活動をする…うちにオタクらしさのようなイメージが共有される事になった。インターネットにのめり込み、萌えアニメでブヒり、同人誌を買い漁る。それまではまだどんな個性でも持つことができた新米のオタク達はその既にあるオタクのイメージに近づくようになり、個性が失われるようになった(気がする)。
そこから2000年代後半にかけてボーカロイドというジャンルが最盛期を迎える。ボーカロイドとはヤマハが開発を担当した音声合成技術及びその応用製品であり、作曲した曲に人が声を当てなくても合成された音声を使い声を当てることが可能な歌唱合成ソフトである。それで作られた曲はボカロ曲と呼ばれ、ボカロ特有のキャラクター性や人でないからこそできる高速歌唱や音の急激な高低差などの利点を活かし次々と素晴らしい曲が作成された(ボーカロイドでしか作れない曲として一つ例をあげるならcosMo(暴走P)による「初音ミクの消失 -DEAD END-」だ。BPM240というアンパンマンマーチBPM100の2倍以上の高速スピードでボーカロイドキャラクターである初音ミクが歌唱するとんでもない曲。編集なしでは人にはとてもじゃないが再現不可能である。この曲を頭の中で流しながらリズムに合わせて心肺蘇生を試みたら面白そう)。それらの楽曲は主にニコニコ動画に投稿され、オタク達はこのボカロ曲を聴くことで音楽という非常に強力なコンテンツの力により結束し、ボカロ好きという一つの大きなオタクジャンルが生まれることになった。勢力を増すにつれそれまで共通認識だったオタク像は名誉になり、自虐性を含まない立派なアイデンティティと化した。オタクであることをアピールする事が同じオタク同士で繋がる手段になった。その結果そういったオタク達の自己発信の手段としてボカロを放送の時間に流すなどの行為を自主的にするようになったのではないかと思う。インターネットを利用しているため場所は問題ではなくて、それゆえに全国各地で見られる現象になったのだ。そのボカロ全盛期の時のオタク的なアイデンティティがそのような不可解な行動を起こさせる要因となった、と俺は思った。思っただけ。違うかも。ごめんなさい。