kiwamono's diary

テクノロジーによるシコティッシュの一覧

何故オタクは給食の時間に放送でボカロを流したがったのか

タイトルの通り何故オタクが給食の時間に放送でボカロ曲を流したがったのか私見(というか妄想)をまとめます
かくいう自分の通っていた小学・中学でもお昼の時間によくボカロが流れることがあった。そのたびにクラスカースト上位で運動部などで活躍する活発な生徒、つまり陽気キャラの女子などが「きゃー。なにこの曲ー。きもーい。オタクじゃん。きもーい。」などとキモイのなら反応しなければ良いのにここぞと騒ぎ始め、それを聞いたオタクグループが腹を立て対立が生まれるという誰も得しないクソみたいな流れが起きた。調べてみるとこれは日本全国どこの小学校中学校でも起きているようだ。こんな誰も得しないことが誰が支持しているわけでもないのは些か不可解である。そこで俺はここにはオタクたちのアイデンティティの問題があると考える。

それまでオタクたちはそれぞれ好きに2ちゃんねるを利用したりアニメやゲームを見たりして各自の好きなジャンルを楽しんでいた。オタク達は全員同じ趣向を持つことはなく、それぞれがそれぞれ興味のある分野を楽しんでいたためオタクには個性があった。そして自分がオタクという世間的に評価されないジャンルにしか分類されないと自覚し、半ば自虐的なアイデンティティとしてオタクの名を名乗っていた。つまり社会一般から逸れ自分の関心のまま行動するもの達の総称がオタクだった訳だ。そこにニコニコ動画が登場する。ニコニコ動画は単なる動画投稿サイトとして終わらず、動画の視聴者が自由に投稿できるコメント機能によってコミュニティとしてオタク達の結束に役立った。そしてオタク達はニコニコ動画をオタクの聖地として利用する。動画というメディアを介しオタク的な趣味を共有することができた。多種多様なオタクが活動をする…うちにオタクらしさのようなイメージが共有される事になった。インターネットにのめり込み、萌えアニメでブヒり、同人誌を買い漁る。それまではまだどんな個性でも持つことができた新米のオタク達はその既にあるオタクのイメージに近づくようになり、個性が失われるようになった(気がする)。
そこから2000年代後半にかけてボーカロイドというジャンルが最盛期を迎える。ボーカロイドとはヤマハが開発を担当した音声合成技術及びその応用製品であり、作曲した曲に人が声を当てなくても合成された音声を使い声を当てることが可能な歌唱合成ソフトである。それで作られた曲はボカロ曲と呼ばれ、ボカロ特有のキャラクター性や人でないからこそできる高速歌唱や音の急激な高低差などの利点を活かし次々と素晴らしい曲が作成された(ボーカロイドでしか作れない曲として一つ例をあげるならcosMo(暴走P)による「初音ミクの消失 -DEAD END-」だ。BPM240というアンパンマンマーチBPM100の2倍以上の高速スピードでボーカロイドキャラクターである初音ミクが歌唱するとんでもない曲。編集なしでは人にはとてもじゃないが再現不可能である。この曲を頭の中で流しながらリズムに合わせて心肺蘇生を試みたら面白そう)。それらの楽曲は主にニコニコ動画に投稿され、オタク達はこのボカロ曲を聴くことで音楽という非常に強力なコンテンツの力により結束し、ボカロ好きという一つの大きなオタクジャンルが生まれることになった。勢力を増すにつれそれまで共通認識だったオタク像は名誉になり、自虐性を含まない立派なアイデンティティと化した。オタクであることをアピールする事が同じオタク同士で繋がる手段になった。その結果そういったオタク達の自己発信の手段としてボカロを放送の時間に流すなどの行為を自主的にするようになったのではないかと思う。インターネットを利用しているため場所は問題ではなくて、それゆえに全国各地で見られる現象になったのだ。そのボカロ全盛期の時のオタク的なアイデンティティがそのような不可解な行動を起こさせる要因となった、と俺は思った。思っただけ。違うかも。ごめんなさい。