kiwamono's diary

テクノロジーによるシコティッシュの一覧

トリエンナーレ、現代アート、ポプテピピック

「現代芸術かなり好きなので、昨今話題になる現代アートの周回遅れ感はどうもつらい。何をやってもデュシャンやウォーホルの焼き直し。その一方で仮面ライダージオウが平成の現代芸術として凄い事やったし、そもそもここ数年で最も現代芸術だったのってポプテピピックだし…」

「思うに、日本の場合はギャグ漫画がかなり現代芸術の役割を担ってるんだよね。」

こんなツイートがTwitterのタイムラインに流れてきたときは心底アホかと思った。だってアニメじゃん。アートじゃないじゃん。しかし少し時間を置くとなんだか納得できる気がしてきたのでブログに書いてみることにした。今回はそのツイートの文脈に沿いトリエンナーレのレポも書く。


8月1日あいちトリエンナーレ2019が開催されたが、その中で政治的に偏った展示を行っているという疑いがかかり、あらゆる作家が言及して対立・炎上するインターネット地獄が発生した。「表現の不自由展・その後」という名前で元慰安婦を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇の肖像を燃やすような動画作品などを展示するその企画はたったの数日で展示取りやめとなった。

その8月1日、Twitter慰安婦像が展示されているという情報を目にした私は「え!絶対すぐ見れなくなるやつじゃん!キャッキャッ」と嬉々として見に行っていたのである
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入り口にはこのように「展示終了までSNSへの写真の投稿禁止しないでね」と注意書きが。
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展示場所を区切る薄いカーテンはさながら文化や思想の壁を思わせる。会場内は警備員が巡回しピリピリとした緊張感が漂っていたがどこか平和な空気もあり、例えば平和の少女像の横に座り笑顔で写真を撮ってもらうおじさんなどが発生していた。私は普通に写真を撮った
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なんかアウトドアっぽい素朴な椅子だなあと思った。スケベ椅子に座らせたらもっとわかりやすくなるのではないか?感想は以上。そもそも自分の世代(10代)はメディアに扇動されて韓国に対する嫌悪感を持つこともなくKーPOPだとか韓国グルメだとか素晴らしい韓国文化に触れて育ってきたので平和の少女像じたいには特に感じるものはない。「そういうことがあった」という事実を象徴するものとして存在しているということしか知らない。例えるなら広島平和資料記念館の被爆者像。単体では政治的イデオロギーを持たない。しかし今回の「表現の不自由展・その後」には狭い空間に多くの政治的な意図のある作品が展示されており、平和の少女像についても否応なく「これには政治的な主張があるのだろう」と思わせる印象があった。エログロがモチーフの作品も展示されていたら印象も違っていたかもしれないが・・・
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これは暇だったのでコラージュで作った理想の会場の様子

というわけで微妙な展示だった。別に左寄りの展示として尖ってるわけでもない。一方でネットでは「慰安婦像が展示されている!天皇燃やした!許さん!津田許さん!」というヘイト情報が拡散し炎上している。そのうちの何人が実際に展示を見に行ったんだろうか?自分が行ったときは全然ガラガラだったけど・・・恣意的に感情を煽る情報が拡散され多くの人間が動物的にそれに反応する。ポスト真実だ!これはまさしくコンセプトの情の時代そのものではないか。

”世界を対立軸で解釈することはたやすい。「わからない」ことは人を不安にさせる。理解できないことに人は耐えることができない。苦難が忍耐を、忍耐が練達を、練達が希望をもたらすことを知りつつ、その手段を取ることをハナから諦め、本来はグレーであるものをシロ・クロはっきり決めつけて処理した方が合理的だと考える人々が増えた。イアン・ハッキングは著書『偶然を飼いならす:The Taming of Chance』で、19世紀以降の近代社会において、統計学が誕生し、人間を集団––––動物の群れのように効率よく管理する仕組みとともに発展していく様を、フーコーの「生権力」の概念を援用しながら巧みに描いた。21世紀の社会はまさに延長線上にある。われわれは、権力によって、あるいはメディアによって、動物のように管理されている。しかし、それでも人間は動物ではない。人間は、たとえ守りたい伝統や理念が異なっても、合理的な選択ではなくても、困難に直面している他者に対し、とっさに手を差しのべ、連帯することができる生き物である。いま人類が直面している問題の原因は「情」にあるが、それを打ち破ることができるのもまた「情」なのだ。われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(ars)を身につけなければならない。それこそが本来の「アート」ではなかったか。アートはこの世界に存在するありとあらゆるものを取り上げることができる。数が大きいものが勝つ合理的意思決定の世界からわれわれを解放し、グレーでモザイク様の社会を、シロとクロに単純化する思考を嫌う。”(あいちトリエンナーレ2019芸術監督 津田大介コンセプトより引用)

このコンセプトはアドバイザーである東浩紀の「動物化するポストモダン」で指摘されていた「動物化」について述べられていると感じる。ようするに慰安婦問題といった真実か虚偽か見極めにくいグレーなものに対してまずシロ・クロ付けてからネットなどのメディアで自分の理想の真実の証明に有利な情報だけを回収し独自の世界観を構成してしまう(ネット右翼ネット左翼、Twiterフェミニストやミソジニスト)人々について書かれている。そこでアートという開かれていて公共で独立したものを展示し示すことでグレーなこの世界そのものを見てもらおうといった感じである。実際に表現の不自由展以外の作品でも難民の数の数字を見た人に濃厚なメントール入りのスースーした風で泣いてもらうような作品があったが、あれも実際にいる人間をただの記号である数字に置き換え管理することに対するレスポンスと皮肉が含まれている。弓指寛治氏の作品も事故で死んだ子供たちの人生そのものを描写することにより失われた命に対する想像力を呼び起こすためのものだと解釈できる。ポストモダンの状況において氾濫する情報、真実、感情の中でそれでも人間らしい「人情」の時代を取り戻す。そこまでは良かった。しかし現実はこのありさまである。どうしてこんな大失敗になってしまったのだろうか?


・・・そもそも日本人は現代美術の政治的な作品を鑑賞するリテラシーがない、というか現代美術がよくわからないのではないかと思った。そもそも日本に西洋的なアートという概念が輸入されたのは明治になってからのことで、それまで美術とはもっぱら絵画や彫刻や工芸品などを総称して指すものだった。なので西洋のアートの文脈は日本人からさっぱり抜け落ちており、だからこそ文脈など気にせず鑑賞できる印象派絵画は日本で大人気なのである。そんなよくわからないアートなんかより歴史が古いのは漫画やアニメだ。日本のオタク的なアニメ文化に関しては敗戦によって断絶された日本文化を穴埋めすべくアメリカからもたらされた疑似的なものであると言われるが(同じく東浩紀動物化するポストモダン」より)、その中で扱われる「キャラクターに萌える」という要素は江戸の浮世絵から続く虚構を愛する伝統文化だし「美少女」に関しても歴史がある。村上隆も「日本における美術と大衆芸術の区別のなさ」をスーパーフラットって呼んでる。日本人にはアートの方が新参者でアニメの方がなじみ深いわけである。そこで最初に紹介したツイートに戻る。

「現代芸術かなり好きなので、昨今話題になる現代アートの周回遅れ感はどうもつらい。何をやってもデュシャンやウォーホルの焼き直し。その一方で仮面ライダージオウが平成の現代芸術として凄い事やったし、そもそもここ数年で最も現代芸術だったのってポプテピピックだし…」

「思うに、日本の場合はギャグ漫画がかなり現代芸術の役割を担ってるんだよね。」

アニメじゃん。アートじゃないじゃん。それはそう。現代アートというワードを漠然と「アニメより良いもの」として捉えているとアニメはARTに匹敵する価値のあるものだと言い張る謎の主張に思えるが、西洋での現代美術の位置を日本ではアニメが果たしていると解釈すると納得できる。そして現代美術に対する文脈の理解のなさというのもここまで書いてきた通り日本は遅れていると書いてある。なるほどね。トリエンナーレ、ARTの理解のなさ、そこまで踏まえてのツイートだったのである。そういえば富野由悠季の「機動戦士ガンダム」は実際の戦争の状況と政治的な対立についてリアルに描写している。ちょうど学生運動真っただ中を過ごした影響もあるかもしれない。同じ年代に生まれた宮崎駿も徹底的に反戦的な思想を作品に込めている。それからもアニメや漫画の中では非常に様々な社会的なテーマが扱われてきた。わざわざアートで表現しなくてもアニメでアートの役割を果たせてしまうのである。しかも面白い(というか虚構だと認識しても面白いと感じることができる)。「アートって社会の役に立つ?」とは言われるが「アニメは社会の役に立つ?」とは言われない。そういうわけで西洋で漫画表現が最先端をいかないように日本もまたアートで最先端をいくことはない。日本人にアートはわからない。インターネットによる情報の氾濫で自分にとって正しい情報や世界を構築できてしまう時代になってその結果世界が細分化されて共通の正しさや意味は失われた。異なった物語をもつもの同士は交流せず、正しくないものを徹底的に排除してしまえるようになり動物化した人間が多くなった。そんな動物がわざわざ金を払って自分の世界観を乱すようなアートを見に行くわけがない。その結果デマや炎上記事が拡散し、動物達にさらなる餌(恣意的に感情を煽る情報)が与えられただけで終わった。そういうわけでポプテピピック現代アート(つか前衛)。テコンダー朴は神漫画。おわり